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近鉄バス百科 近鉄バスの概要・歴史篇4
近鉄バスの歴史・1970年代
大阪万博開催
1970(昭和45)年3月15日、大阪・千里丘陵にて、日本万国博覧会が行われました。近鉄では、鉄道部門で鳥羽線と難波線を開通させ、難波〜賢島直通特急の運転を開始し、伊勢志摩を万博の第二会場として積極的に売り出しました。
万博においては、ロープウェイの運行も行いましたが、茨木と会場を結ぶピストンバスを阪急バス・京阪バスとともに運行、会期中1330万人を輸送しました。また、近鉄電車沿線から会場までの路線バスも運行されていずれも大活躍でした。
利用者の減少
近鉄バスの利用者は、1970年まで増加しつづけていましたが、この頃から自家用車の増加により、運行が妨げられることも多くなり、翌年以降減少に転じます。
その中でも、新路線の開拓に努め、1971(昭和46)年には築港枚岡線(深江橋〜枚岡、1986年に近鉄東大阪線の開業で廃止)、1972(昭和47)年に、万博記念公園に隣接するエキスポランドへの路線を開設、布施駅前から中央環状線経由の路線も新設されるようになります。1973(昭和48)年には加美線を平野に乗り入れ、1975(昭和50)年には摂津市内循環の運転開始などを行っています。
事業エリアの変更
1972年4月、京都近鉄観光バスの事業を統合、翌1973年2月には大阪近鉄観光バスの貸切事業も統合して、大阪・京都・奈良においての観光バス事業を一体化して、万博終了後の業界内競争に対応します。
一方で、山田川〜上野市間など京都府南部の路線事業102kmは、1973年3月に奈良交通に譲渡、京都府内の近鉄バスは京都〜奈良などの都市間路線のみとなります。
駅前の整備
1970年代は、駅前の整備が行われ、主要駅でロータリー・バスターミナルの整備が行われます。
国鉄茨木、八戸ノ里駅前(1970年)、布施駅前、小阪駅前(1977年)、近鉄八尾駅前(1979年)などが挙げられます。この他にも小規模な改良は各駅前で行われています。
車両の変遷
1970年代のバスは、路線車では低床化や広扉化、中型車の導入などが行われました。また、1978年からは塗装をクリーム+茶色から、アイボリー+赤に一新します。当初は塗り分け方が若干異なります(ホイールが赤だったりする)が・・・
観光バスでは、1974(昭和49)年にサロンカーを導入、さらにセミデッカーやパノラマデッカーの導入などが行われ、足回りも路線車に毛が生えた程度のものから、本格的観光型へと改良されていきます。
参考資料:近畿日本鉄道80年のあゆみ、バスラマインターナショナル(ぽると出版)
(最終更新:2003.8.31)
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