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近鉄バス百科 近鉄バスの概要・歴史篇1
近鉄バスの歴史・戦前篇
最初は奈良の周遊バスから
近鉄バスの歴史は、今は運行していない周遊観光バスで始まります。
近畿日本鉄道の前身、大阪電気軌道(大軌)によって、1929(昭和4)年5月25日、奈良の春日奥山周遊線16.3kmを運行開始します。
この路線は大軌奈良駅を起点に春日奥山を一周するもので、一般の路線バスというよりは、定期観光バスの形態の路線でした。バスは周遊路線らしくオープンカーとなっていました。
同年8月1日、大軌は吉野鉄道を吸収合併して吉野線とします。このとき、吉野鉄道の持っていた大和上市〜柏木・大又、桜井〜新子など126kmの路線を継承、本格的な直営バスの運行を開始しました。
大阪府下でも路線展開
大軌はその後、現在の近鉄バスのメインである大阪府下への路線開設を行います。
1932(昭和7)年9月に布施〜石切と額田署前〜瓢箪山計12kmを石切線として開設します。今は無き枚岡線と現在も走る四条畷線の一部を構成します。
さらに、1934(昭和9)年1月には、枚方〜柏原などに路線を持つ、河内乗合自動車の四条畷〜柏原20.1kmを買収、河内線として営業を開始します。1937(昭和12)年10月には摂河自動車の若江岩田〜八尾3.9km、菊水自動車の若江岩田〜住道〜萱島ほか18.1kmを買収して現在の萱島線のもとが作られ、昭和自動車商会の小阪〜徳庵〜浜6.3kmも吸収して、府下に着実に路線網を張っていきます。
1938(昭和13)年9月、最初の路線春日奥山周遊線を奈良交通の前身、奈良自動車に譲渡しています。また、吉野地区の路線バスも吉野宇陀交通に1940(昭和15)年4月に譲渡されています。
1940年12月には、現在の阪奈生駒線の一部を構成する蒲生町四丁目〜住道大橋が開業します。これは当時持っていた鉄道線計画(京橋〜四条畷・枚岡など)の代わりでもあります。さらに摂河自動車の平野〜柏原大和橋や大正バスの路線も吸収します。
1941(昭和16)年3月15日、大軌は子会社である参宮急行電鉄を吸収、社名も関西急行鉄道に変わり、大阪から伊勢、名古屋への広大なネットワークを作り上げます。参急がもっていたバス路線もまた、大軌の路線として加わります。さらに、大阪鉄道を1943(昭和18)年2月1日に合併し、南大阪線を構成、同社の平野〜藤井寺・松原、古市〜堺も統合、1943(昭和18)年10月までに172.4kmの路線網となります。
戦時体制へ
第二次世界大戦は緊迫度を増し、物資不足になってきます。1941年9月からはガソリン車は使用できなくなり、木炭バスや電気バスが使われるようになり、輸送力の低下にも繋がります。そして同年12月、ついに大東亜(太平洋)戦争が始まります。
1943年以降、運輸事業の地域統合が行われ、関西急行も1944(昭和19)年6月1日に南海鉄道と合併して、近畿日本鉄道が設立されます。
バス事業でも、奈良県内が1943年7月に奈良自動車を母体に奈良交通を、三重県内が1944年2月に神都交通を母体に三重交通を合併で設立、関西急行のバス事業も1943年11月に奈良県内の路線を奈良交通に、12月に愛知県内の路線を三重交通に統合される三重乗合自動車に譲渡しています。
戦局の悪化により、1945(昭和20)年には約1/3のバス路線が運行休止を余儀なくされ、8月15日敗戦を迎えます。
参考資料:近畿日本鉄道80年のあゆみ
(最終更新:2003.8.31)
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