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近鉄バス百科
近鉄バスの概要
ここでは、近鉄バスの概要を説明します

近鉄バスについて
近鉄八尾駅前のターミナル
近鉄バスは、東大阪市小阪に本社を置き、大阪府東部の近鉄大阪・奈良・東大阪・南大阪・長野各線および、JR学研都市線、大和路線を中心にした河内地域と、茨木市周辺の阪急京都線、JR京都線の沿線を中心に(このほか、京都市の向島地区にも路線があります)営業を行う、大手私鉄・近畿日本鉄道(本社・大阪市天王寺区)100%出資のバス事業者です。資本金は1億円(2005年に50億円から減資)、社長は澤田均氏(もと近畿日本鉄道自動車局技術部長、明光バス社長)。
また、大阪と京都を拠点に北は山形から南は鹿児島までの高速バス路線をもち、その広がりは全国のバス事業者でも随一、37都府県に及んでいます。
全路線の免許キロも約5,400kmで国内事業者でも有数。従業員は約850人(京都市営バス受託社員約100人を含む)。営業所は大阪府内に布施・稲田・枚岡・鳥飼・八尾・松原の6箇所、京都府に京都の1箇所を設置、大阪・上本町には高速バスセンターを設置しています。このほか、京都市営バスから受託の洛西営業所があります。
車両は乗合車(一般路線車や高速バス・リムジンバス)と貸切車(契約輸送やコミュニティバス)、観光バスを合わせて約430台(観光バスはうち60台)を保有しています。
もともとは、近畿日本鉄道の自動車局として長らく営業してきましたが、1980年代以降、年間数億の赤字を計上するなど業績が悪化、乗客の逸走も続く中、1990年代には不採算路線の減便や休廃止を繰り返したことで路線網が崩れてしまうなど、もはや大企業・近鉄の一部門として存続することは困難になってきました。
そこで、独立した企業として会社組織を簡略化し、運営コストを下げることでバスサービスの維持・発展を行うため、1999年5月に同社は子会社として路線部門の「近鉄バス株式会社」と観光バス部門の「近鉄観光バス株式会社」を設立、同年10月1日から業務を譲り受けて再スタートを切りました。
分社化後はコスト削減とともに、既存路線の増発、自治体との連携によるコミュニティバスの運行(八尾市、富田林市、大東市など)を行い、従来バスの無かった地域にも路線が伸びるようになっています。また、車両も低床化を進めたほか、低公害天然ガス車、ハイブリッド車の導入も行っています。高速バスについても積極的に展開しており、そのネットワークも広がっています。この他にも、地元学校などの送迎バス運行、さらに自家用バスの運行管理も受託しています。
京都市営バス洛西営業所の管理委託を2004年3月から受けており、約100人の従業員が在籍しています。
2006年9月に路線部門の近鉄バスが観光バス部門の近鉄観光バスを吸収合併し、1つの会社になりました。
近鉄バスの全線一覧表 近鉄バスの事業所一覧
近鉄バスの車両台数一覧 近鉄バスの社章
旧・近鉄観光バスについて

看板車種 スーパーハイデッカー(トイレ・ビールサーバー付き車両)
2006年9月1日に近鉄バスへ吸収合併された近鉄観光バスは、資本金は1億円(2005年に18億円から減資)、営業は大阪府と京都府にて行っており、大阪府に53台、京都府に5台の合計58台が在籍、約100人の従業員で運営していました。本社は布施営業所内にありました。
近畿日本鉄道自動車局の貸切部門として1949年に設置、のちに京都近鉄観光バスと大阪近鉄観光バスの事業を吸収して、最盛期には109台の車両で大阪・京都・奈良の3府県で営業してきました。その後競合の激化から減車、奈良県からの撤退といった事業縮小(ただし、奈良県からの撤退時にはグループの奈良観光バスが受け皿となった。同社は名阪近鉄バス大阪営業所も引き継いだ)を行い、1999年に分社化される際には路線バスとは別組織として再出発することになりました。そして一定の成果を見たとして2006年に吸収合併の道へと進みます。
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(最終更新:2006.9.2)
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