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近鉄バス百科 路線篇3(廃止路線・一般路線バス)

枚岡線(上本町六丁目〜石切神社前)


枚岡線の路線車

上本町バスセンターにおける枚岡線 中型のほか大型も使用 1990.8.7

●運行系統

番号 運  行  経  路
60 上本町六丁目−新深江−長栄寺−御厨橋−菱江−枚岡−新石切駅前−石切神社前
61 上本町六丁目−新深江−長栄寺−御厨橋−菱江−枚岡(車庫)
62 長栄寺−御厨橋−菱江−枚岡−新石切駅前−石切神社前
63 上本町六丁目−新深江−長栄寺(布施営業所)

●概要と歴史

 近鉄はかつて多くの路線を、大阪都心へ乗り入れていました。
 この枚岡線もその一つで、近鉄奈良線に平行して走り、かつてはドル箱路線としても親しまれました。その後も、近鉄本社のある上本町へ乗り入れる唯一の路線として長らく営業を続けていました。
 もともと、戦前に布施から石切への大軌(大阪電気軌道。近畿日本鉄道の前身)バス路線として開設。戦後1948年には上本町に乗り入れます。上本町にはバス営業所も設けられ、拠点として活動を開始します。1949年には輸送力を増大させる「トレーラーバス」を導入しました。
 1954年、大阪市内では戦時統合で大阪市営の独占が行われるなか、民間各社が共同のバスターミナルを市中心部の内本町に設置、枚岡線もここを起点に改めます。このターミナルは結局1960年代には無くなりますが、今も残っていれば高速バスのターミナルとしても活用されていたかもしれません(起点はさらに中心の本町四丁目からの時代もあった)。
 1960年には、日本初の二階建てバス「ビスタコーチ」を導入、翌年には量産車も登場します。また、乗り降りをスムーズにする「低床バス」(いわばノンステップバス!)も1963年に導入されます。しかし、ワンマン化の波に押され短命に終わります。
 1970年代に入ると道路渋滞に悩まされるようになり、乗客離れが始まります。減便も行われますが、まだ幹線としてはそれなりに価値がありました。担当営業所も布施が退き、枚岡だけになります(1993年の枚岡自動車区廃止後は布施に移管)。
 1980年代には、乗客減は一層深刻化し、1990年代には、30分毎が45分毎に、さらに1時間毎に。結果として乗客減を加速させ、そして最終的には1日4往復(他区間便1往復)になり、1997年8月末を以って休止、65年続いた歴史に幕を下ろしました。そして、2000年3月に正式に廃止されています。

●運行ルート

 上本町六丁目は、高速バスセンター内にのりばを設けていました。現在、その部分を改修して伊丹空港行きリムジンバス(大阪空港交通)が発着しています。もっとも、バスセンター駐車場で待機することも多く、その場合は駐車場からのりば脇に出てきて、そこで乗車を扱うこともありました(前扉から乗せてくれたことも)。
 バスセンターから地上に降りて、千日前通に入ったところにも、上本町六丁目バス停(市バスの23号系統など今でもが発着)があります。逆方向はバスセンター侵入路前に小橋町が設けられていました。千日前を東進して鶴橋。大阪市内は急行運転に近く、次は今里、その次は新深江と1駅分の間隔が開いていました。ここの間にも停留所があれば市内の利用者も確保できたのではなかったかと思います。高井田で大阪市を抜けます。
 長栄寺は近鉄バス布施営業所前。小阪北口を通って御厨橋(みくりやばし)。ここで春宮線と合流。新家で中央環状線と交差(春宮線は中央環状線へ)、交差した先に西岩田。工業地帯を抜けて菱江。次は河内郵便局前。東大阪市が1967年に成立する前は、布施・河内・枚岡の3市に分かれていました。この先で道路が広くなり、花園ラグビー場前。場所的には裏側で、ちょうど第二グラウンドが見える位置になります。次が松原町。近くの交差点が「河内松原」になっているのでビックリします(旧河内市松原の意)。
 新町で外環状線と交差、以遠は山裾に向かって坂道となり、箱殿。ここで左折して国道170号旧道へ。ちなみに曲がらないで進むと暗峠(くらがりとうげ)を越えて奈良まで通じる国道308号線になりますが、バスは通行不可能です。
 旧道を進んで、枚岡。そして、新石切駅前を通って、石切神社前に到着します。ここには折り返し場が設けられていました(現在は住宅などが建っている)。石切神社は、この前の信号を山へ向かって入ると5分足らずで着きます。このため、正月には増便されていたこともあります。

●運賃

 大阪市内は均一、東大阪市内は特殊区間制。
 上本町六丁目〜石切神社前は廃止時320円でした。電車で上本町〜石切を行くと340円なのでそれよりも安かったのです。実は電車との競合という点ではバスの運賃は比較的健闘していたというのが実際で(廃止以前の改定でもバスのほうが安いことがしばしばあった)、あとは定時確保だけだったと言えそうです。

●車両

 1993年に枚岡自動車区が廃止になるまでは、大型車と中型車が併用となっていました。中型車は1970年代の後半あたりから、まず旧型の日野RLが使われ、後にレインボーRJに置き換わったようです。RJには車内に停留所名表示装置を取り付けた車もありました。枚岡自動車区廃止後路線休止直前まで、1776〜1780(1982年式)の4台が枚岡から布施に移ってほぼ専従車となっていました。これら車は方向幕も枚岡時代のままだったようです。
 大型車は、トレーラーバス、ビスタコーチ、低床バスと続き、その後は輸送力重視のロングボディ車(最初は車掌乗務車、のちにワンマンのRE、RC)となり、枚岡時代の最後にはEE車も活躍しました。

●ダイヤ

 1989年当時、約30〜40分毎の運行で、このうち朝の初発1往復と夕方以降の便は、上本町〜枚岡の運行でした。とくに枚岡発初便は5:55発で、近鉄では珍しい5時台のバスでした。1991年の減便では、45〜60分ごとに、1993年には1時間毎になります。1994年にはさらに減便されると共に、枚岡車庫折り返しがなくなり、代わりに長栄寺(布施営業所)発着が設定されます。1996年12月の減便で上本町〜石切は1日4往復、長栄寺〜石切が1往復となり、休日は運休になりました。そして、1997年8月30日を最後に運休となります。

●考察

 自動車などの影響があったとはいえ、1990年代に入ってからは、急激な減便で乗客の信頼を失ったような気がします。工夫次第ではもう少し存続の道を探れたようにも思いますが、途中で近鉄線への接続が出来ないことから、培養線としての活路も見出せなかったのかもしれません。個人的には好きな路線が相次いでなくなる事態に会社としてはいたしかたないけど、なんとかしたかったと残念に感じます。

(最終更新:2005.1.1)

 

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