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近鉄バス百科 路線篇3(廃止路線・一般路線バス)

柏原線(阿倍野橋〜志紀車庫前・国分駅前)
/名阪国道線(阿倍野橋〜天理駅前)


阿倍野橋にて柏原線

阿倍野橋・近鉄百貨店前で発車を待つ柏原線。この当時すでに中型バスばかりになっていた。 1989.12.29

●運行系統(1989年頃)

番号 運  行  経  路
90 阿倍野橋−杭全−平野元町六丁目−亀井−太子堂−志紀車庫前
91 阿倍野橋−杭全−平野元町六丁目−亀井−太子堂−志紀−柏原駅筋−国分駅前
92 志紀車庫前−柏原駅筋−国分駅前
93 (名阪国道線)阿倍野橋−杭全−平野元町六丁目−亀井−長吉長原=(西名阪)=国道櫟本−天理駅前

●概要と歴史

 柏原線も枚岡線とともにかつてはドル箱路線でした。
 戦前に摂河バスの路線を、大軌が買収して平野〜柏原大和橋に開設したのがはじまり。この当時は、平野から松原を経て下黒山、亀井から南下して藤井寺という路線もありました。
 戦後、大阪市のモンロー主義にも屈せず、1948年に阿倍野橋へ乗り入れ。1949年4月1日からは奈良交通と共同で、阿倍野橋〜奈良に急行バスを運転開始(所要1時間半)。奈良回遊乗車券を発売するなど、集客に務めました。
 さらに、阿倍野橋から都心方向へは、1953年8月から本町四丁目へ乗り入れ、内本町二丁目には郊外バス各路線が集まるバスセンターも出来ます。1956年には志紀営業所(現・八尾営業所)が設置されます。1960年代には2階建てバス「ビスタコーチ」を枚岡線・阪奈生駒線とともに投入して、乗客の評判となります。
 1966年、西名阪道と名阪国道が約1000日の工期で完成、奈良交通・三重交通とともに、大阪〜上野市急行バスも運行開始します。近鉄は後に天理まで、奈交・三交は天理〜上野の運行になり、天理〜上野は現在でも運行を続けています。
 1970年代になると、乗客減がはじまり、1980年代には中型バスに置き換わります。1989年には、毎月26日のみ天理教関係で1便のみ残っていた名阪国道線が廃止。そして、1990年代には、大幅な減便と区間短縮が繰り返され(一時期は平野駅前〜志紀車庫前間も設定)、阿倍野橋〜志紀車庫前は1997年2月23日をもって廃止、志紀車庫前〜国分駅前のみ出入庫を兼ねた路線が休日1往復残っていましたが、これも2006年7月1日をもって休止(最後の運行は2006年6月25日)となっています。

 ●運行ルート

 阿倍野橋は、近鉄百貨店の前にありました。今もポールと上屋は残されており、高速バス乗り場の案内板代わりになっています。乗り場の前は今やタクシーの列がすごく、隣接の市バス乗り場も占拠されており、市バス利用者はタクシーの間を抜けて乗車しなければなりません。タクシーであってもバス停は駐停車禁止のはずなのですが・・・
 阿倍野橋を出ると、阿倍野筋へ入り路面電車と平行、阿倍野電停の先で左折、阿倍野区役所前に到着します。逆方向はあびこ筋を進み、阿倍野橋に到着します。阿倍野橋〜杭全(くまた)は市バスに対して急行運転といえ、阿倍野区役所と美章園のみ停車します。
 杭全から国道25号線に入り、平野区内を進みます。平野元町六丁目は市バスの平野駅筋。現在行政上平野元町に丁目は付きません。さらに進むと、車線数が減り、渋滞しやすい区間となります。大阪市と八尾市の境目は、中央環状線のところで、ここに亀井
 亀井からまもなく右側に八尾市立病院が見えると、太子堂。近鉄八尾〜藤井寺の八尾線と接続。さらに25号線を進み、JR志紀駅前に志紀志紀車庫前はここから右に折れたところにあります。
 志紀から先、25号線をそのまま進むと、柏原駅筋。柏原駅は道路が狭く、バスは乗り入れていません。そして、右手に大和川が迫ってくると、柏原大和橋。柏原市役所の前に柏原市民会館前。川沿いを進み、左右に山が迫ってきます。近鉄大阪線の線路をくぐって、国豊橋を渡ると、堺からくる府道、近鉄大阪線に並行する国道165号が分かれる、国分駅前に到着します。

 名阪国道線は、亀井まで柏原線と平行、ここから中央環状線を進み、長吉長原で近畿道に入り、さらに西名阪道を走破、天理ICで西名阪を出ると、国道櫟本から天理教本部前を経て、天理駅前に到着します。高速道路を普通の中型路線バスで爆走していたのもいまは昔です。

●運賃

 大阪市内は均一、八尾・柏原市内は、特殊区間制(国豊橋〜国分駅前は対キロ制)。 

●ダイヤ 

 柏原線は、1989年当時約30〜40分毎の運行でした。1990年の減便では、50分ごとに、1991年には国分行きと志紀行きがそれぞれ5往復ずつになります。1992年には国分行きがなくなり、志紀車庫行きのみとなります。1993年12月の減便で、阿倍野橋へは休日に1往復のみ、他は平野駅前からに短縮されます。その後、近鉄八尾行きも設定されますが、1997年2月に阿倍野橋〜志紀車庫前は廃止、志紀車庫前〜国分駅前は、堅上線の出入庫を兼ねた1〜2往復のみ存続しています。

●車両など

 1980年代までは大型車が使われていましたが、その後は中型車主体に。1980年代後半には阿倍野橋口ではレインボーRJの独壇場だったようです。上記のように、名阪国道線ですらRJだったのですから・・・
 その昔ですが、名阪国道線にはこの路線運用向けの車両があったといいます。車種はRCと思われますが、急行表示灯などを装備していたというBBSへの投稿もありました。運用上は、途中の亀井付近で乗り換えとなるものもあったとか。
 さらにさかのぼれば、近鉄独自の2階建てバス・ビスタコーチやノンステップバスというのも走っていたということです。

●考察

 1990年代に入ってからは、急激な減便が続きました。その減便の仕方はえげつないくらいで、たまにしか阿倍野に行かないと、来るたびに減っていると感じたものです。確かに道路渋滞がありましたが、大阪市内を中心に乗客は多く、阿倍野橋〜志紀車庫に1時間毎にでも運行していれば・・・と思います。
 名阪国道線については、高速バスの開業に役立ったといえますが、近鉄電車では上野市へのアクセスが不便なこともあり、大阪〜上野市間高速バスの要望もあったようで、2005年から新大阪駅〜伊賀間に高速バスが開設、近鉄バスも翌年8月から参入するようになりました(忍者ライナーをご参照ください)。

(最終更新:2007.2.17)

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